動く大地、三好ジオパーク!

miyoshi geopark

ジオパークって何?

「地球の過去を知り、未来を考えて活動する場所、それがジオパーク」
地球を作り出している大事な要素の1つめ、それは「大地」です。大地を作っている地層や岩石は過去の地球で起こった情報を持っています。その情報を知ることで、これから変わっていく地球の上で私たちがどう暮らしていけばいいのかのヒントを得ることができます。地球を作っている要素の2つめ、それは「生物」です。特徴ある大地に合わせるように生育したり、生き物同士で繋がりを築いたりしたりしながら、様々な種類の生き物がいろんな環境の中で生きています。そして大事な要素の3つめ、それは「私たち人の暮らし」です。特徴ある大地や生き物とともに暮らしてきた人々の知恵や工夫は、その各地域の文化として根付いています。
ジオパークでは、みなさんと一緒に地球を作り出している大事な要素やそれらの繋がりを理解したり(教育)、守ったり(保全)、楽しんだり(ツーリズム)する活動をしています。また時に地球は、私たちに「災害」という試練をもたらします。その災害を乗り越えること(防災)にも取り組んでいます。これらの活動を通して、各地域や地球全体の未来を想像し、そのために私たちが今できることにチャレンジしています。
みなさんとともに行うプログラム、それがジオパーク活動です。
現在、ジオパークはユネスコの正式なプログラムの一つとなっており、日本や世界各地にジオパーク地域があります。地域同士で活発な情報交換が行われ、地球を守り、地球で共に生きていくためにネットワーク活動を盛んに行っています。

三好ジオパークってこんなところ

不思議な風景はどんな「動く大地」とつながっている?!

不思議でステキな風景たち

かずら橋、妖怪話・たぬき話、斜面の畑 …を生み出したもの 山の斜面にある集落群 …を生み出した大元
動く大地 01 地すべり
うだつ、加茂の大クス、吉野川の平野 …を生み出したもの カックン折れ曲がる吉野川 …を生み出した大元
動く大地 02 中央構造線

三好ジオパークの大地の成り立ち

01 約7000~8000万年前

日本全体の様子
当時の三好の大地の様子 四国山地側 讃岐山脈側

三好ジオパークエリアを東西に貫く中央構造線は、約1億年前に誕生しました。…と言ってもこの時代に日本列島はなく、中央構造線はユーラシア大陸の中にありました。
そして7000-8000万年前、中央構造線の活動によってその北側の大地は海となっていました。海の底では、陸地から流されてきた砂や泥などが溜まりつつありました。讃岐山脈の大地の土台となる地層はこの時から作られ始めていたのです。
その一方、中央構造線の南側の大地の地下では、プレート運動によって地下深くに運ばれた岩石が強い圧力を受けて、「結晶片岩」という岩に変わりつつある時代でした。

02 約5000万年前

日本全体の様子
当時の三好の大地の様子 四国山地側 讃岐山脈側

約5000万年前ごろの中央構造線沿いでは、その当時のプレートの運動方向によって、以前と比べて土地の様子が大きく変わっていました。中央構造線の北側は、盛り上がり、陸地となっていました。また、中央構造線の南側の土地には、地下十数kmでできた結晶片岩が隆起し、地表に現れていた時代でした。しかしながら、まだ、現在のような讃岐山脈(中央構造線の北側)や四国山地(中央構造線の南側)は存在していませんでした。

03 300万年前

日本全体の様子
当時の三好の大地の様子 四国山地側 讃岐山脈側

時代は一気に300万年前以前までうつります。このころ、中国大陸の東側の陸地の一部が海側へ離れて、日本海ができ、日本列島の原型ができ始めていた時代です。この当時、南側にある海のプレート(フィリピン海プレート)が北側に沈み込んでいました。ちょうど中央構造線はこのフィリピン海プレートの沈み込む方向の影響を受けて、南北方向に力と受けていました(赤い矢印)。この当時の三好ジオパークエリアの土地は、中央構造線の北側の大地は陸地で山はありませんでした。

04 300万年前以降

日本全体の様子
当時の三好の大地の様子 四国山地側 讃岐山脈側

300万年前ごろ、この時三好ジオパークエリアにとってはビックイベントが起こり始めます。そのきっかけとして、フィリピン海プレートの沈み込む方向が北西方向へ変わったことが関係しています。この北西方向への沈み込みによって、中央構造線を挟んだ両側の大地は右に横ずれをし始めます。
三好ジオパークエリアでは、中央構造線が動くごとに、中央構造線の北側の土地が右に横ずれしながら隆起したことで讃岐山脈ができました。この讃岐山脈ができる過程の中で、大転換を起こしたのが吉野川の流れです。讃岐山脈ができる前までは、吉野川は北側(現在の香川県側)へ流れていましたが、讃岐山脈ができたことによって、その流れは(現在の池田町で)東へ大きく流れを変えました。この吉野川の流れの変化が、その後の徳島県や香川県の文化に大きく影響を与えることになりました。
これらの讃岐山脈や四国山地では、地質や地質構造が大きく影響し、山の斜面で地すべりが数多く発生するようになりました。この地すべりが数多く起こったことによって、緩やかな斜面が山中にたくさんでき、斜面の集落の土台となったのです。

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